(ミニ)ビブリオバトルに倣いテーマを定め「しゃべれば3分」の質量でご紹介する「本談義」
本日のテーマは、" オオカミ少年 "です。
『兄の終い』
村井理子 / 著
2020年4月刊行
CCCメディアハウス
いきなり兄の遺体を引き渡されて、どうしろというのだ? 兄は身長が180センチほどの大柄な男だった。あんなに大きい男(それも遺体)、どうやって運ぶの? いきなり斎場? えっ、まさかの喪主?
交流を断っていた「兄」の突然の死。兄の住まいである東北の警察署から知らされた関西住まいの著者は軽くパニックに陥ります。それから丸五日間をかけ、遺体の引き取りから葬儀、兄の住んでいたアパートの部屋の処理や廃車手続き、兄と一緒に暮らしていた小学生の甥の引っ越しや転校など、雑多極まる手続きに翻弄されながら、著者は絶縁していた肉親とのかかわりや、憎み遠ざけていた「兄」について思いを巡らせます。
今まで一度も兄を理解できたことはなかったし、徹底的に避けて暮らしてきた。それなのに、兄が必死に生きていた痕跡が、至る所に現れては私の心を苛んだ。こんなことになるのなら、あの人に優しい言葉をかけていればよかった。
兄の元妻と二人、「とんでもない量のアドレナリンを脳内に放出」しているであろうと想像しながら、アクロバティックなまでのスピードであらゆる手続きに奔走する著者。感傷に浸る余裕もその気もないはずなのに、ふと気づけば兄の残した履歴書の「志望動機」の欄に心を揺さぶられたり、返事を出さないままだった、生前の兄から届いていたいくつかのメールの言葉を読み返してみたり。そんな「言葉」への執着は、著者が文筆業の方だからこそ余計に強く持つところだろうと推察してみたりしました。
ソフトカバー版の単行本。書店で手に取るやいなや、その緊迫感に読み始めたら止まらず、半分近く立ち読みしてしまいました。相容れない肉親ときっぱりと距離をとることを決めて生きてきた著者が、待ったなしの状況に追い込まれたとはいえ、「兄の終い」を猪突猛進にこなしていく様子はすがすがしくもあり、読みながらこちらまで著者の感じた「達成感」が得られる思いがしました。
私たちが幼い頃、母は兄に「オオカミ少年」の話をくり返し聞かせていた。(中略) 嘘ばかりついていては、いつか必ず罰が当たるんだから。母はそう何度も兄に言い聞かせていた。
五十四歳のオオカミおじさんは、本当に助けが必要なとき、この世でたった一人の妹に手を差し伸べられることなく、誰にも看取られないまま死んでいった。
母と息子が陥りがちな依存関係、母と娘にありがちな不寛容、そして、兄弟姉妹間に横たわる一筋縄にはいかない距離感。解決できない難しさを痛感しながら生きているわたしにとってこの実録は、ひとつの道筋を示してくれるものでした。
重かったり辛かったりといった読後感を抱かずに済んだのもよかった。出会えてよかった、力をもらえた一冊です。